お客様のレポート1

マウンテンプロジェクト・2017年8月親子富士登山に参加して

子供たちへの登山後インタビューから―   2017年8月 父、母、長男W9歳、長女M7歳

はじめに】

 

 

 

今回の登山について両親は、成人まで半分の人生を経た長男に一生記憶に残る成功体験を10歳の誕生日(8月中旬)までに積ませることが第一目標で、7歳の長女を含めて家族全員で登頂に成功できればそれはボーナスであると、成功基準を設定していました。もちろん登山計画としてはボーナスの成功も狙えるように、当初は二泊三日の超スロースケジュールを希望しましたし、事前の高尾登山や終日の街歩き訓練も行ってきました。

 

 

 

実際は8月の一泊二日スケジュールの中、長男と父親の二人は登頂したものの長男は自力で下山できず、長女と母親は9合目目前で登頂断念という結果に終わりました。初挑戦で家族全員が登頂成功するよりも、子供たちの心には富士登山の経験と記憶がより深く刻まれたと思いますし、彼らがこれからの人生の中で導き出すであろう教訓も増えたことと思います。

 

 

 

父親が初めて千崎さんにお電話したとき、「初めての富士登山で山を嫌いになってもらいたくない」「親子登山を通じて、苦しくても頑張り続ければいつか目標にたどり着けることを子供のうちに実体験することは、一生の宝物になる」とお話しくださいました。今回、帰宅した翌日でまだ記憶が新しいうちに、子供たちへのインタビューを行いました。彼らの証言から、千崎さんのそうした思いを彼らは受け止めることができたのだと確認できました。心より御礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

【長男(W)へのインタビュー】

 

 

 

-富士山登山を終えて、今の率直な感想を聞かせてください。

 

 

 

富士山に登る前は、余裕ではないけれど、普通に登れると思っていた。だけど、実際に富士山を見て、その見た目の高さで無理だと思ってしまって、高山病でなく千崎さんが言っていた「降参病」みたいになってしまった。初日はそれでもなんとか7合目の大陽館まで行って、やっと着いたと思った。

 

 

 

その日は一泊して、夜に星が見られて、学校の宿題ができてよかった。次の朝、その日(山頂と麓が曇っていたため)7合目~8合目からしか見られなかった日の出を見た。日の出そのものを初めて見たので、うれしかった。

 

 

 

二日目も降参病みたいになった。9合目まで来て、頂上を見て、「あとちょっと」という感じで登って行ったけど、「あとちょっと」と思いながらも遠くて、しばらくの間、いつまでも景色が一緒に見えた。

 

 

 

頂上に着いたら相当疲れて、山小屋で休んだ。喘息っぽくなって少し息苦しかった。山小屋でお昼に醤油ラーメンを頼んだけれど、麺をすすったら息苦しくなるので、お父さんに一口サイズにしてもらって、すすらなくて済むようにして食べた。でも、がっつり食べられなさそうだったので、お父さんに半分食べてもらった。

 

 

 

そのあとの下山は、最初の方は楽しくて、砂走りでY君(一緒登ったSさんの息子さん)と走ったりして、遊び程度にやってこられたけれど、霧が濃くなってきてから、頭が重く、熱っぽい感じがするようになった。最初はそれが時々だったけれど、そのあともそれが続いてしまった。お父さんに「もう歩きたくない」って言ったら三ツ堀さんもそれを聞いていた。本7合目の小屋(見晴館)が近いから小屋までは歩こうと決めて歩いていたら、たまたまその小屋にお母さんとMがいるのを知った。

 

(※その直後、母親と長女Mは、三ツ堀さんの指示で、Sさん親子とX(我が家と同行したドイツ人留学生)と一緒に先に7合目に向けて本7合目を出発しました。それを長男は上から見ていました。)

 

 

 

(お父さんがお母さんに電話をして)お母さんも合流してもらって、本7合目からは三ツ堀さんにおぶってもらって、7合目の大陽館まで来た。それでもまだ少し頭が重かったので、7合目からも砂払い5合目までおぶってもらった。その間に僕は眠くて少し寝てしまった。

 

 

 

そのあとは体力が少し復活して、最後の30分、砂払い5合目から5合目のバス停近くの山小屋(菊屋)までは楽しく走ったりした。Y君と一緒に歩いたりして楽しかった。最後は菊屋で休んで、バスに乗って(御殿場の宿まで)無事に帰れてよかった。

 

 

 

1日目に大陽館に着くまでに降参病になりかけたの?

 

 

 

なりかけた。

 

 

 

-最後の7合目の大陽館には、一番に着いたよね。

 

 

 

最初は、初めての富士登山でちょっとついて行けなかったけど、6合目から6.5合目の所でだんだんコツが分かってきて、距離も短かった。6.5合目から7合目までも似ていた。最初は、結構遅れてしまって、かかとにテーピングを貼ってもらっていたりしていたけど、それから三ツ堀さんやX君に追いついて、最後の最後には、下を向いて登っていたら、いつのまにか皆を抜かしてしまって、6.5合目に最初にゴールして、7合目も最初にゴールした。

 

 

 

5合目スタートから最初の6合目の小屋までが一番辛かった?

 

 

 

うん、やっぱり、最初だから。

 

 

 

-富士山を5合目で見て、「あれ登れるの?」って思ったの?

 

 

 

うん。

 

 

 

7合目の山小屋に泊まって、ご来光はどうだった?

 

 

 

すごかった。

 

 

 

-山小屋では眠れた?

 

 

 

眠れたけれど、2回くらい起きた。暑かったので。

 

朝は、お母さんたちが日の出を見るための用意をしていたけれど、僕は眠たいから寝ていた。お母さんたちは先に日の出を見に行った。その後、周りがガサガサしていたから起きちゃった。みんなが外に行ってるから、そろそろ日の出かなと思って、僕も外に行ったら何分後かに、梅干しみたいな太陽が出てきた。

 

 

 

-朝出発して、だんだん追いつけなくなって、三ツ堀さんが遠くに行った時はどんな気持ちだった?

 

 

 

焦って、余計に疲れた。

 

 

 

-石の坂道は思ったより登りにくかった?ずりずりと落ちていたけれど。

 

 

 

やりにくかったけれど、まだ歩けた。最後の最後の9合目から頂上までは、岩の道ばっかりで高い感じがした。それこそ降参病みたいになって、その時に景色がずっと同じに見えた。

 

 

 

-途中であきらめようと思ったことはあった?

 

 

 

あった。

 

 

 

-どの辺で?

 

 

 

9合目から登り始めて、ちょっと経ってから。

 

 

 

-9合目で、「Mはもう登らない」と聞いてどう思った?

 

 

 

やっぱり、(7歳の女の子の)Mだし。でも、ちょっともったいない気がした。

 

お父さんがMでも安心してゆっくり登れるガイドさんを頼んでくれたけれど、実際には時間を気にしてサクサク行った。ゆっくり行って山頂まで行くのではなく、どんどん行った。時間がないと言っていたから、Mも登れなかったんじゃないかと。Mも普通に安心して登れたら、てっぺんまで行けたんじゃないかなと思って。確かにぼくも三ツ堀さんが先にいくから焦って、降参病になりそうになった。

 

 

 

-一緒にのぼりたかった?

 

 

 

家族全員でてっぺんに行ってみたかった。

 

ただ、(8合目で)三ツ堀さんもこれ以上待っていられない、時間もないって言っていたから。

 

 

 

-頂上についた時はどんな感じ?

 

 

 

やっと着いた。

 

 

 

-どんな景色でしたか?

 

 

 

雲海が広がっていて、雲がない所は緑だった。

 

 

 

-帰り三ツ堀さんにおぶってもらった時はどんな気持ち?

 

 

 

「おぶってもらわなかったら、どうなっていたんだろう?」と思った。

 

 

 

-安心した?

 

 

 

安心した。安心しすぎて寝た。

 

 

 

-それまでずっと不安だったの?

 

 

 

うん。

 

 

 

-三ツ堀さんと離れた時から不安だった?

 

 

 

うん、もし何かあったらどうしようと思った。

 

 

 

-お父さんと一緒にいるけど、お父さんと二人だったから?

 

 

 

うん。おぶってもらってようやく安心した。

 

 

 

-Y君と仲良くなったね。また会いたい?

 

 

 

うん。会えたら。

 

 

 

-三ツ堀さんの背中におぶってもらった時、お話ししていたよね。

 

 

 

この経験を、富士山にまた登ったり、他の山に登ったりした時に、「富士山ってこんなんだったな」と思いだしてほしいと。

 

 

 

-道中、登山者から声をかけられていたけれど、印象に残っている言葉はある?どう感じた?

 

 

 

ぼくは、結構挨拶をしたけれど、あまり声をかけられていない。一番印象に残ったのは、登りのしんどい時に、下りてきた小学6年生くらいの親子のお父さんから、「この子も頂上に行く前に休んでいた。休まなかったらこいつも登れなかった。だからがんばってね。」と言われた事が励みになった。

 

(※実際は、「途中しんどくてやめかけたけれど、なんとか登れたから、今しんどくても頑張れるよ」という趣旨の内容で励ましてくれました。)

 

 

 

-下りは誰かに会ったの?

 

 

 

下りではあんまり会わなかった。下りの時は、ぼくをおぶっている三ツ堀さんに向かって「頑張ってください」って言っていた。

 

 

 

-ほかの人からはお父さんと思われているかもね。

 

 

 

たぶん、そう。

 

 

 

-また登りたい?

 

 

 

大人になってから、また登りたい。

 

 

 

-10歳のよい記念になりましたか?

 

 

 

なった。

 

 

 

-千崎さんに伝えたいことは?

 

 

 

千崎さんのアドバイスで、てっぺんまで登れたと思ったし、がんばれたと思う。歩き方とか、呼吸とか。高山病でなく降参病とか。それこそ、unknown unknownだったから。

 

 

 

-三ツ堀さんに伝えたいことは?

 

 

 

三ツ堀さんにおぶってもらったから、今、自分の家にいると思う。

 

 

 

-実は結構危険な状態だった。おぶって降りて来てくれるガイドさんはなかなかいないから、最後はよく面倒見てくれたと思う。無事帰ってきてよかったね。山には、何を捨ててはいけないんだっけ?

 

 

 

ゴミと命。

 

 

 

 

 

 

 

【長女(M)へのインタビュー】

 

 

 

-富士山登山を終えて、今の率直な感想を聞かせてください。

 

 

 

最初は慣れていなかったから、歩くのが遅くて6合目まで行くのが大分大変だと思っていたけれど、本6合目まで行く時にはリュックも持ってもらって、ちゃんとついて行けて良かった。

 

 

 

7合目まで行く時にちょっと暗くなってきて、その時まだリュックを持ってもらっていたけれど、最後の最後に座ってしまった。お兄ちゃんが励ましてくれて、階段で「あと10歩だよ」と言ってくれた。実際は10歩でなくて13歩で、面白かった。

 

 

 

大陽館ではなかなか眠れなかった。お兄ちゃんが具合悪くなって、ちょっと寝てはちょっと起きて、が続いた。夜中にお父さんが「星を見てくるね」と山小屋を出て行って、「ちゃんと見えているよ」と言っていたので、家族みんなで見に行った。私はなかなか見えなかったけれど、真上も見たら、ぶわーっと星があった。すごいと思った。雲の上にいるので、パタパタ(鳥みたいに)した。

 

 

 

朝は、日の出を見て「ご来光~!」をした。X君と一緒に写真を撮った。

 

 

 

本7合目に行く時は(グループの歩く速さに)ついて行けたけれど、本7合目から8合目までは大分疲れて、「次にちょっと遅れちゃったら止めようか」と言われちゃった。でも次は遅れないで、8合目まで行った。そこで焼印を2つもらって、(それまでに)14個集まった。8合5勺に行くときは、また大分疲れてしまった。8合5勺から9合目に行く間はお兄ちゃん達とだいぶ離れて、私はとてもしんどくて泣いてしまった。いっぱい泣いたから息切れしていたけれど、お母さんが「ちょっと座ってもいいよ」とか、「もう帰る?」って言ってくれた。私は、帰る気持ちもあったけれど、頂上にも着きたかった。頂上まであと600メートル、9合目まであと200メートルの所でおりた。だいぶ満足していた。三ツ堀さんにどうやって下りるか電話で聞いたら、「行きと同じように下りる」と言われた。それで行きと同じように降りた時、8合5勺で焼印をもらった。8合目ではカップラーメンを食べて元気いっぱいになって、さらに下りた。

 

 

 

8合5勺の時に富士山の消防士さんに会って、「下りる人のルートを行って」といわれたので、その道を降りた。(※三ツ堀さんから、8合5勺からブルドーザーの通っていた下り専用道に出るように言われましたが、下り道には横断禁止の看板がかかっており、消防士さんからは、安全のために8合目までは登りのルートを下りて、8合目から下り専用ルートに行くように勧められました。)

 

 

 

雨でびしょびしょになってだいぶ辛かったけれど、本7合目の見晴館まで下りて来られた。その時にお母さんが、三ツ堀さんに「見晴館に着きました」と電話で言おうと思ったら、(頂上まで行っていた)X君が思ったよりも早く降りて来た。その後Y君が来て、三ツ堀さんが来て、お兄ちゃんがだいぶ遅く来た。でもお兄ちゃんが来る前に、私たち(※Sさん、Y君、X君、長女)は先に大陽館に向かって下りはじめた。みんな(三ツ堀さん、長男、父、母)と合流した時に、お兄ちゃんが三ツ堀さんの背中におんぶされていたから、びっくりした。

 

 

 

ちょっと休憩してトイレなど行ってから、砂走りを下った。石が靴の中にいっぱい入ってだいぶ遅れた。(※借りたスパッツの正しいつけ方が分からず、すぐにチャックに砂が噛んでしまった後は使えませんでした。)それでも、ほとんど5合目(※「砂払い5合目」のこと。)まで下りて行った。それで、あと5合目の菊屋さんまで30分という休憩所に、わんちゃんが出てきた。そこで私とお母さんは、三ツ堀さんからもらったシュークリームを食べた。その時にわんちゃんが(シュークリームを)欲しがって、かわいかった。(駐車場まで)下りた後にレインコートを返した。(三ツ堀さんと別れて)その後、菊屋さんまで下りて行って、実物は見れなかったけれど(富士山に生息するという)おこじょちゃんのキーホルダを買った。富士山の噴火のおもちゃも買った。うれしかった。バスに乗って無事に(御殿場の)ホテルに戻った。着いた後にホテルで温泉に行った。すごく熱かった。気持ち良かった。(※下りてすぐにホテル内のお風呂に入り、次の日も温泉に行きました)。

 

 

 

―1日目にしんどいなと思ったことはあった?

 

 

 

あった。

 

 

 

―三ツ堀さんがリュックを持ってくれた時はどう感じた?

 

 

 

持ってもらった時は軽くなったと思ったけれど、そんなに変わらなかった。

 

 

 

―ご来光はどうだった?

 

 

 

まぶしくて見るのも疲れたけれど、初めて見て、すごいキレイだった。初めて見た所が富士山で良かった。

 

 

 

―9合目に行く前に下りたけれど、そこに行くまでに下りたいと思ったことはあった?

 

 

 

もっといっぱいあった。けど、頂上に着きたいなと思った。

 

 

 

―いつから?

 

 

 

お母さんがもう降りようといった時から。(8合目の所の事か?9合目の手前か?)

 

(※三ツ堀さんに言われた登頂する時刻のリミットに近づいてきて、のぼる?おりる?と何度か聞いています。)

 

 

 

―降りると決めた時はどんな気持ち?

 

 

 

満足していて、今度また登りに行って、頂上まで着いて、また無事に戻ってきたい。

 

 

 

―お兄ちゃんは頂上に行ったと聞いた時はどう思った?

 

 

 

すごいなと思った。

 

 

 

―帰りはお母さんと一緒に霧の中を下りたけれど、X君に会うまでどんな気持ちだった?

 

 

 

だいぶ疲れてびしょびしょで、「見晴館まで戻って来られてよかった~。あとちょっとだ~。」と思った。

 

 

 

―何か不安はあった?

 

 

 

霧があったから、下りる時に大変かもと。

 

 

 

―三ツ堀さんと離れた時はどう感じた?

 

 

 

ちゃんと会えるかな?と思った。ちゃんと登れるかな?と思った。

 

 

 

―お母さんが見晴館から下りかけてまた戻って、X君とSさんにMを託したけれど、不安はあった?

 

 

 

Sさんが速くて、休憩する時間がないかもと思った。ついて行ったけれど、「ちょっと待って」とか、「ちょっと遅くして」とか言いながら下りた。

 

 

 

―お母さんに会えないのではないか?という不安はあった?

 

 

 

なかった。

 

 

 

―道中、登山をしている人から声をかけられたりしていたけれど、印象に残っている言葉はある?どう感じた?

 

 

 

「がんばって」とか言われてうれしかった。

 

 

 

―どこで言われた?

 

 

 

ふらふらだったとき。

 

 

 

―登りのとき?

 

 

 

登りの時も。途中で下りてきた時に、「がんばったね。」と言われた。本当は頂上に着いてないけれど、確かにがんばった。「頂上についていないけれど頑張ったね。」と言われた。

 

(※8合5勺から9合手前の往復の間に、5人くらいは声をかけられたような気がします。)

 

 

 

―千崎さんに伝えたいことは?

 

 

 

高尾山で一緒に登って、いろいろ学んで年上の子よりも高いところまで登ったので褒めてもらいたい。

 

(※この夏、長男のお友達が何人かやはり10歳の記念に富士山に行っていますが、登頂を断念しています。)

 

 

 

―「いろいろ学んで」というのは?

 

 

 

歩き方とか、息とか。

 

 

 

―気持ちの持って行き方は?

 

 

 

ぜったいに頂上につきたかった。

 

 

 

―千崎さんから学んだ「コツコツ」は印象に残っているの?

 

 

 

うん。

 

 

 

―今回、時間があれば登れると思った?

 

 

 

分からない。

 

 

 

―三ツ堀さんに伝えたいことは?

 

 

 

特にないけれど、お世話になった。教えてもらうことはあまりなかった(※千崎さんから聞いていた以上の話はなかったという意味)。もうちょっとゆっくり行って欲しかった。

 

 

 

―おいて行かないで待っていて欲しかったということ?

 

 

 

うん。

 

 

 

―不安になった?

 

 

 

不安になった。

 

 

 

―富士山にもう一回行きたい?

 

 

 

行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

【父・母より】

 

 

 

子供たちの話を肯定するわけでも、否定するわけでもなく、淡々とインタビューしました。もちろん親からの質問には親が聞いておきたい事もあるので、内容に関してある程度の誘導はあります。ただ、子供たちは正直な気持ちを話してくれたと思います。インタビューをすると、まだ物事の感じ方が表面的で、これからいろんな経験をすることで、同じ景色や出来事でも、また違って感じたりするものだと思っていますし、ひょっとしたらうまく聞き出せていないだけかもしれません。

 

 

 

長男の不調と、長女の登頂断念については、それぞれ思い当たるきっかけがあり、悔やまれます。

 

 

 

長男に関しては、喘息持ちだったにも関わらず、これまで秋にしか発作が出なかったので全く対処をしないで山に登った事でした。その後調べると、山小屋のホコリで発作が出やすいとか、喘息の度合いが分かるメーターを持っていくとか、薬を持っていくとか、様々な対処法が書いてありました。

 

 

 

長女に関しては、本7合目から8合目の間に、足が靴にぶつかり足が痛くて歩けなくなった時だと思います。母親と長男も先頭から離れて歩いていましたが、父親と長女はさらに後ろを歩いていて、父親が独自の医療用具を持っていなかった事でした。他の登山者が見かねて、塗り薬をチューブごと父親に譲ってくれたので、それを塗りながら8合目までなんとかたどり着きました。症状が悪化する前に処置ができていれば、1時間くらい短縮できたかもしれないし、時間切れの下山を決断しないで済んだかもしれないと思います。

 

 

 

それから、子供たちの話を聞いていると、三ツ堀さん(ガイドさん)と離れた事による焦りが疲れとなって、さらに遅れの原因になっていると思いました。ガイドさんと離れた状態で素人の親ができることと言えば、先頭集団との距離を確認しながら子供のペースに合わせて歩を進め、心拍計や表情をモニタしながら休ませたり、水と食料を早め早めに与えて消耗を軽くしながら、子供の心が折れないように励まし、話し続けることでした。下山時は濃霧のため、先頭集団との距離や自分の現在位置が分からず、前後の登山者もよく見えない状態では、孤独に耐える精神力と、負傷しないように注意深く歩き続ける集中力と、日没前に下り切る体力が必要でした。

 

 

 

正直に申し上げて両親も、Sさん親子やX君の登山ペースと長男と長女のペースがあれほど違って、その結果、ガイドさんと自分たちが離れ離れのまま登頂したり下山することになるとは、二日目に登頂のタイムリミットを三ツ堀さんから告げられるまで、想定していませんでした。

 

 

 

初日に5合目の菊屋を出発する時、三ツ堀さんも医療用具をある程度持っているということで、荷物軽減のために持参してきた医療用具の大半を5合目に置いてきた程でした。また千崎さんには防寒着はフリースかユニクロのライトダウンのいずれかで良いと高尾山で教わっていましたが、二日目の出発時にダウンジャケットは登山時にはかえって体を冷やすので使わないと三ツ堀さんより教わり、大陽館に置いてきました。しかし濃霧の砂走を下山中に(下界では我慢強い性格のはずの)長男が「風邪を引いた。頭が痛い。もう歩きたくない」と泣き出したとき、本能的に命の危険を彼なりに感じているのだと直感し、防寒着を親が担いでこなかった不用意さを反省しました。

 

 

 

もしも登山の世界では、ガイドさんが示したペースについていけないメンバーには、パーティーと離れて独自に登頂・下山する覚悟が想定されているのだとすれば、あらかじめ伝えて欲しかったという気持ちはあります。その前提が登山前に共有されていれば、万一の事態に備えた親の持ち物や自覚もかなり変わっていたと思うからです。携帯の電話番号もグループ全体であらかじめ交換し、お互いに連絡が取れる体制を作っておくことも必要だったと思います。(ちなみに子供のリュックにつけた携帯のGPSを母親が持っていた携帯で追跡しましたが、明らかに違う場所を示している事が多く、あまり役に立ちませんでした。携帯も所々不通になっていました。)

 

 

 

まったく道が分からない霧の中を、ガイドさんなしで子供を連れて下山するのは相当疲れました。登頂の喜びはもちろんありますが、無事に下山できた安堵感も強いです。とても難しい判断が迫られる中、全員無事に日没前に下山できた事を思うと、最終的には三ツ堀さんの判断が正しかったのだと感謝しております。子供の人数より大人の人数が多かったのも良かったと思いました。若くて体力のあるX君もいてくれてよかったです。

 

 

 

下山中に長男が動けなくなったとき、(当初千崎さんに二泊三日の「超ゆっくりスケジュール」を相談していた通り)山小屋でもう一泊するオプションがあるか三ツ堀さんにたずねましたが、もしも長男の不調の原因が山小屋環境による喘息だったのであれば、体調が改善していない状態で山小屋にもう一泊するほうがかえって危険だったかもしれない、と後から思いました。素人の父親が、濃霧の中8合目から5合目までルートも距離もわからない状況で、体重30kgの長男と親子の荷物を担いで日没までに下山することは、体力的にも技術的にも極めて困難でしたから、三ツ堀さんに長男をおぶって下山して頂けたからこそ、そうした登山事故のリスクを回避できたのだと思います。

 

 

 

子供たちは、幸いにも富士山にもう一度行きたいという気持ちが強いようです。長男は大人になってからと言っていますが、長女はやはり10歳でリベンジしたいと言っていますので、その時は悔いが残らない登山ができれば、と思います。